琵琶湖ブルーギル  数奇な「魚生」35年

 1960年10月5日の朝日新聞朝刊に掲載された小さな記事。訪米した当時の皇太子(今の天皇)に、事前に注文していた4種類の魚がシカゴ市長から贈られたことが報じられている。そのうちの1種類こそ、40年後の今、琵琶湖を騒がしているブルーギルだった。ブルーギルが含まれていたのは偶然ではなく、皇太子自らが「非常に釣りやすい魚なので、都会地で子供達が釣りを楽しむのに好適な種と考え」(*0)たためであった。

日本へ そして 滋賀へ

 日本へやってきたブルーギルは、淡水区水産研究所で飼育され、繁殖し、稚魚が生まれた。その稚魚が当時彦根市松原にあった滋賀県水産試験場へ初めて分与されたのだが、時期、回数、魚の数は資料によって記述が異なり、詳細は定かではない。「滋賀県水産試験場研究報告」でも、1962年11月から約2年にわたって計4回約1400尾としているもの(*1)と、1963年11月から約1年にわたって計4回2242尾としているもの(*2)がある。この相違は、誤植や誤記が原因と思われるが、集めた資料からはどちらが正当なのかはわからなかった。

 多くの事実誤認

 どちらにせよ、これが現在琵琶湖を騒がすブルーギルの祖先となったわけだが、その経緯はほとんどと言っていいほど知られておらず、誤ったものも多い。
 誤りの典型的な例の1つは、同じ外来魚のブラックバスのケースと混同したものだ。県大学園新聞第13号に掲載された投稿記事「環濠の魚に、もの思ふ。」(*3)は、ブラックバスとブルーギル共に「釣り人たちに受け、釣り人たちが各地へ『ゲリラ放流』を行った結果」全国へ広まったとしている。この記事中では本多勝一さんの「日本環境報告」が引用されていて、その中にも同様の記述がある。こうした誤りは、歴史的経緯に無知であることによるようだ。現在、ブラックバスやブルーギルは、ほとんど釣りの対象魚として以外に利用されていない。それを見て、「釣りをして楽しむために生態系を乱した。けしからん。」と短絡的に思ってしまうらしい。この考え方は、ブラックバスに関しては成り立つが、ブルーギルに関しては重要なことを完全に見落としている。
 もう1つは、事実に近いがちょっと違っているというものだ。ある本(*4)には、こう記してある。
「当時の琵琶湖は淡水真珠の生産地であった。真珠を作るクロチョウ貝は、幼生時代にタナゴのヒレにくっついて移動する。タナゴが絶滅しつつあるので『ギザギザがからだにいっぱいあるブルーギルなら代わりになるだろう』ということだったらしい。いったい誰がブルーギルが代わりになるなんてとんでもないことを思いついたのだろう。」
 「淡水真珠」という言葉が出てきて、だいぶ事実に近いが、結論の導き方が短絡的であることに変わりはない。

 35年前に何が?

 1977年に発行された雑誌「淡水魚」の第3号。この中に、琵琶湖でブルーギルが獲れ始めた年を漁業者にアンケート調査した結果が掲載されている(*5)。これによると、ブルーギルは1965年から1967年、近江八幡市と安土町にまたがる琵琶湖最大の内湖・西ノ湖で初めて確認されている。当時ブルーギルが飼育されていたのは彦根市松原の滋賀県水産試験場のはずだ。なぜ西ノ湖なのか。この2つの点を結ぶもの、それこそが「淡水真珠」である。
 当時、淡水真珠養殖は「滋賀県水産業を支える重要な柱の一つ」(*6)だった。淡水真珠は琵琶湖固有の貝であるイケチョウガイが母貝となるため、養殖にはこのイケチョウガイが多数必要となる。ところが、真珠養殖業の発展にともなう乱獲、干拓や埋め立てなどの環境悪化で数が不足していた。
 このため、滋賀県水産試験場でイケチョウガイの人工増殖に関する様々な研究が行われた。その中の1つが寄主に関するものである。イケチョウガイの幼生は魚のエラやヒレに寄生する。それにもっとも適した魚は何か。ホンモロコ、モツゴ、ゼゼラ、ハクレン、コイ、フナ、ヒメダカ、ヨシノボリ、ウナギ、ドジョウ、そしてブルーギルと実に様々な魚で実験が行われた。その結果、寄主として最適とされたのが、ブルーギルだった(*7)。
 一連の研究は、1967年度からの「イケチョウガイ人工養殖事業」を前に、室内実験から段階を進めて場所を外に移した(*8)。その場所こそ、西ノ湖だった。ブルーギルはここから琵琶湖に逃げ出し、琵琶湖全域へ広がっていった。
 当時は、生態系や生物多様性といった考え方がまだ広がっておらず、それよりも水産業の発展が優先されていた。そのため、ブルーギルが琵琶湖に逃げ出したらどうなるのかという想定はあまりされなかったし、そのための対策もほとんど施されなかった。直接琵琶湖に放したわけではなかったものの、ブルーギルが逃げ出すのは時間の問題だった。
 ブルーギルの生息範囲は、1975年頃琵琶湖の全域に達した。しかし、現在のような大増殖は起こらず、寄主として最適と白羽の矢が立てられた淡水真珠養殖でも他の魚に取って代わられていった。ブルーギルは忘れられたとも言える。むしろ増加して問題になっていたのは同じ外来魚のブラックバスだった。1984年から滋賀県漁業協同組合連合会による「ブラックバス撲滅作戦」が始まり、1985年から1993年の間は、ブラックバスの買い上げも実施された。この作戦の効果の程は定かではないが、ブラックバスは減少する傾向となり、問題は収束に向かった。

忘れた頃に急増始める

 ところが、その一方で交代するように増加したのがブルーギルだった。琵琶湖固有の魚を食い荒らすとして非難の声が強まった。滋賀県水産試験場の津村祐司さんは、
「はっきりとした増加の原因はわからないが、オオカナダモが増えたこと、人工の護岸が増えたことなどが言われている。もともと琵琶湖にいなかったことでは同じワカサギは商品価値があるので漁業者にメリットがあるが、ブルーギルはそれができず有用魚種への被害が大きい。」
と言う。
 1999年4月、滋賀県は5500万円の予算を投入した「外来魚駆除作戦緊急対策事業」を開始した。琵琶湖全域で年間300トンを捕獲し、現在3000トンとされる生息量を10年後に半減させることを目指している。35年前、淡水真珠養殖で脚光を浴びたブルーギルは、再び表舞台に登場したとき一転して追われる身となっていたのだった。日本にブルーギルを持ち帰った皇太子は天皇となった。
今、そのお膝元である皇居のお堀でも、貴重種を食害すると駆除が始まった。ブルーギルからみれば今はまさに世紀末である。

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